厳しさとは他者を成長させるための手段として相応しいのか?
職場や教育現場などで、叱るという行為が
部下や生徒が成長するために必要な厳しさなのか
相手に恐怖を与えるだけのハラスメントなのか
議論になることが多くあります。
「叱る」行為というものの必要性や正当性の境界線はどこにあるのでしょうか。
今回は叱ることに対して2つの立場の考え方を紹介しながら考えます。
叱ることの目的とは?

近年、「叱る」という行為に対して待ったをかける風潮があるけど、私は反対です。
相手の成長を願うからこそ時には厳しく叱るという行為も必要だと思います。
叱ってくれる相手がいないと自分の甘さや間違いに気が付くことができません。
優しくするだけで成長の機会を奪うのは本当の意味での優しさではないと思います。

叱るという行為が部下や生徒の行動に対する適切なフィードバックになっているのであればその考えにも賛成です。
しかし、実際には建設的なフィードバックというよりも
叱る側が感情的になったり、必要以上に相手を追い詰めたりするような言い方をすることの方が多いように感じます。
ミスを指摘したり責任感を持たせたりするためとはいえ、相手が萎縮したり怖がりながら生活したりするようになってしまうのは成長という視点から考えても逆効果ではないでしょうか。
パーソル総合研究所の調査では、若い世代に「目立ちたくない、失敗したくない、怒られたくない、対立したくない」という「拒否回避志向」が増えていることや上司からの叱責によりストレス反応が、メンタルヘルス不調のリスクを高めていることが確認されています (出典:https://rc.persol-group.co.jp/thinktank/data/young-mental-health.html?utm_source=chatgpt.com パーソナル総合研究所

それでも叱られないと自分を変えられないこともあると思います。
新人がミスをしたときに、何をしても優しく許されてしまったら変わろうという気持ちになれないのではないでしょうか。
実際に、スポーツチームや厳しい指導環境で育った人たちが高い自己規律を持つ傾向があるという研究もあるように
厳しさやプレッシャーがあるからこそ人は成長するのです。

それならば感情的に叱るのではなく、
『ここが問題だったから、こう改善しよう』と冷静に伝えるべきです。
同じ内容を伝えるのであれば冷静に伝えたほうが相手も素直に受け止められるはずです。
相手のため?自分のため?

結局のところ感情的になって叱るタイプの人は相手のためというよりも自分のために怒っているように感じてしまうな。
相手が思い通りに動かないことへの苛立ちや、仕事や責任が増えてしまうことのストレスを発散するために相手に強い言葉をぶつけているだけじゃないのかな?

確かにストレスを発散するために怒鳴ったり相手を追い詰めたりしてしまうことが未熟な行いであることは認めます。
しかし、ミスをした側、迷惑をかけてしまった側が相手の態度に不満を持つのも何だかおかしいと思いませんか?
そもそもミスをしたのは自分なのに、自分の非よりも相手の伝え方に意識が向いてしまうのはあまりにも他責的に感じます。
相手をここまで怒らせることだったんだと受け止めた方が自分の成長に繋がるのではないでしょうか。

誰の視点で考えるかは大切かもしれませんね。
叱る側は必要以上に感情的になるべきではないし、
叱られる側は相手の言い方や態度に意識を向けるよりも自分のミスを振り返ることのほうが大切だね。

その通りです。
「誰のために叱っているの?」という考え方は叱る側が自分に向ける思考であって
叱られている側が「これは誰のために怒っているのだろう」なんて考えるのはおかしいのです。
厳しさは悪なのか?

最近は、厳しさ自体が否定されることも増えたけど、その風潮が本当に良いことなのでしょうか。
自己肯定感や自尊感情を育てるという言葉を盾にして
厳しく接しない言い訳をしているのではないでしょうか。
厳しく接するというのはどちらにとっても辛く苦しいことです。
それでも相手のことを思うからこそ、嫌われる覚悟で厳しくしてきたこと場面があったはずです。
今は必要な厳しさを向けてもらえず成長しないまま歳を重ね、最後は力が付いていないのは自己責任だと切り捨てられる人が多いように思います。

ここまでは厳しさについての話をしてきたけど
最後は「優しさとは?」という話になるのかもしれないですね。
その場で不快にさせないことが本当の意味で優しい行いと言えるのか?
厳しく接することは相手に対してマイナスでしかないのか?
短期的な視点と長期的な視点で見比べてトータルで相手のプラスになる方法を探していけると良いのかもしれませんね。
筆者の考え
2人のやり取りを見てどう感じましたか?
相手を追い詰めるために怒鳴ったり高圧的に接したりすることは良くないですが
厳しさそのものが不要であると言い切ることはできないかもしれません。
それでも私自身は他者への厳しさはできる限り減らしたほうが良いと考えています。
厳しさのおかげで成長できる側面もあるかもしれませんが、
本当に厳しさだけが成長する唯一の方法なのか?
という疑問が残るからです。
誰もが穏やかに苦痛なく暮らしたいと願っているはずです。
同じように成長できる方法があるのだとすれば
「怒られるかも」「叱られるかも」といった不安や緊張からではなく
「楽しい」「やる気が出る」のようなプラスな感情で力を伸ばせる世の中になって欲しいと考えています。
さて、皆さんはこのテーマについてどのように考えますか?
コメントで教えてくださいね。
コメント